LCA国際小学校

Teachers' Room先生たちの部屋

孤独な闘い

副学園長

うちの小学校では児童全員が英語のスピーチコンテストに出場する。これを得意とする子もいれば、人前で話すのが苦手な子も、転入してきたばかりの子もいるが、みんな結構な長さのものをステージで発表する。

しかも小学校3年生でも1〜3分の内容で、ほぼ全員が手ぶらでステージに上がる。つまり完璧に暗記しているということだ。身振りや手振りもいれて、たいてい見事にスラスラといく。が、そうでない場合もある。ごくたまに言葉に詰まる子がいる。緊張して頭が真っ白になり次に言う言葉がどこかに飛んでいってしまった状態だ。

広いステージにたった1人、客席はもちろんみんな応援している。声を出さずに「頑張れ!」と心の中で叫ぶ。誰にも頼れない、答えはどこにも書いてない、大海原に一人で放り出された感じだろうか。音のない緊張が永遠に続くのではないかと、このまま固まったままだったらどうやって助けたら良いのかと、私たちも心臓が止まりそうになって焦る。

けれど、子どもの頭の中は決して固まってはいなかったのだと、その後気づくことになる。何とか文を思い出し、再び本流に戻って最後までたどりつく。その間、こちらも何回も心臓が止まりそうになるが、子どもはこのとき頭の中でどんな作業をしているのだろう。

「わ、真っ白だ!」
「次の言葉はなんだっけ?」
「今まで話したのはどこまで?この後どんな話?」
「じゃぁ、どうつなげればいいんだ!」
「思い出せるか?それとも他の言葉でつなげるか?」

たった一人で、沈黙のプレッシャーを痛いほど浴びながら、こんな作業をしているはずだ。こんな風に途中で止まる子は、実は何人かいるが、どの子もみな何とかそれを乗り越えていくことに驚かされる。スラスラとよどみないスピーチはもちろんすばらしいが、子どもたちの葛藤する姿も感動的だ。

翌日は小学校4年生だった。これまた全員が手に何も持たずステージに上がる。またも完全暗記か!4年生ともなると、原稿は結構な長さになっているのを知っているので正直ヒヤヒヤものだ。けれどこちらの心配をよそに、子どもたちは自信満々に自分の意見を述べていく。

ある男の子の番になった。その子は幼稚園からの顔なじみだ。きれいな発音でしっかりとスピーチを進めていく。ずいぶんお兄ちゃんになったなぁ、と感心しきり。ところが突然ピタッと止まった。あぁ、真っ白地獄だ!その前のセンテンスをもう一度言ってみる、が次は出てこない。その前の前の言葉を言うが続かない。まるで何時間も経っているのではないかと思うぐらい長く辛い沈黙だ。会場も全員が固唾を飲んで見守っている。マイクを通して彼の息づかいが聞こえる。

ついに耐えられなくなったのか、会場の大人が一人「頑張れ!」と声を出した。もちろん本人の助けになるとは思えないが、誰しもがそう言ってあげたい状況だった。私も時計を見る余裕もなく、ただひたすら「頑張れ!」という念を送っていた。実際、その戦いが何分あったかわからないが、頭の中で葛藤し、様々な努力をしていた彼は困った顔こそしていたが、泣いてその場を逃げることはなかった。そして彼は決心したように、言葉を発した。

Thank you for listening to my speech.

彼は葛藤の末、真っ白になった部分を思い出す道ではなく、とにかくスピーチを終わらせる道を選んだのだ。会場の割れんばかりの拍手はとても暖かかった。その日の夕方、彼を知っている幼稚園の先生たちにこの話をした。事実だけをシンプルに伝えたが、彼らの第一声は「すごい!」だった。

舞台に上って観客の前で話すだけでもとても勇気のいることなのに、決して積極的とは言えないあの子が、あきらめたり逃げたりせず、真正面から戦い、自分なりの解決策をとったということがすごい、ということだ。

私は、小さい頃からの彼を知っている先生たちの感じ方、愛情あふれるこの感想がこれまた「すごい!」と思った。最後まで行けなかったの?途中で挫折しちゃった?結局飛ばしたのね。もっと練習しておかなくちゃね。等々、責めるようなことを言うのは簡単だ。でもそんなことはすべて本人が痛いほど感じている。

窮地に立たされたこの状況があったからこそ、彼は一つの問題解決能力をつけた。こういう暖かい評価は小学校時代ならではのものかもしれないが、落ち込んでいるであろう彼にも「頑張ったね」ときちんと伝えてあげなくては。

 

【副学園長・山口千恵子】

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